防波堤

昧爽どきを通り抜けてたら

Drifter

自死を選ぶことについて考えれば考えるほど、自らも死に近づいてしまうのではと思う。衝撃的なニュースが好き放題に拡散されていく中、暗い気持ちに支配されながら過ごしていた。些細なことを鬱々と考え込んで、もし私がこの家で死ぬならドアノブにベルトをかけて首を吊るだろうなと思い至り、ゾッとして我に返った。思い至っただけで、別にこのまま死のうと思ったわけではないけど、自分の心が疲弊していることに気づいて、とりあえず身近な友人に電話をかけて他愛もない話をした。電話を切った頃には一杯飲みに行く元気も出てきて、近所のバーでまた他愛もない話を続けた。あーだこーだと三杯飲み終えた頃には、突発的な希死念慮みたいなものは、なんとか消え去っていた。

なにに絶望して、なにから逃げたくて死を選ぶかは誰にも理解できない。テレビの中のニュースが真実かどうかすら一視聴者には知る由もない。なにかなんてなくとも人は死ぬこともあるし。もちろんこの文章を書いて、今も生きている私は死を知らない。死にたいと思うことはあっても、それを実行に移すほどの勇気はない。まだまだ今生への未練も、悲しむ人の顔を思い浮かべる余裕を残してもいる。だけれど、未練や余裕がなくなるくらいの出来事って案外簡単に起こりうる。

6年前の夏、ある意味親以上に慕っていた福島在住の叔父が亡くなった。「何故か東京の病院で叔父が亡くなった」と聞いて、私は理解ができないまま、仕事を放り投げて病院に向かった。白い布を顔にかけられ横たわる叔父はただ寝ているみたいだった。その2週間前に会ったばかりで「来年は風とロック一緒に行こうよ」と話していた。触れるとまだ暖かく、頬でも抓れば起き上がりそうだった。しかし叩こうが喚こうがいつまでも目を開けることはなく、その肉体からは熱が失われて目の前の叔父はどんどん死人になっていくのであった。

叔父は無職で、癌で、アルコール依存症で、でも真面目で優しくて、おそらく欝だった。音楽が大好きで狭い部屋の中にCDとレコードをぎっしり詰めていた。福島に住んでいるはずだった叔父は、同居していた祖父母には何も告げず、夢の島公園で開催された夏フェスに来ていたようだった。少ない持ち物の中のレシートやチケットなどを頼りに推測した叔父の最後の行動は、フェスで好きな音楽を聞いて、帰りの新幹線のチケットを買ったものの、急にその楽しさが後ろめたくなって、帰るに帰れず、コンビニで買ったブラックニッカを一瓶飲み干して、そのまま熱中症で倒れた。そして駅の隅っこで昏睡しているところを駅員が気づいて搬送されたそうだ。一度意識を取り戻したので、東京の親戚に連絡が行ったけど、腎不全が進んでいて身内が駆けつけたときにはもう亡くなっていた。

もしかしたら好きな音楽を聞いて全てに満足してしまったのかもしれない、と自死を選んだ可能性が頭をよぎった。考えれば考えるほどずるい最後じゃないか。人生の最後に好きな人達がたくさん出るフェスを楽しんで、それで死ぬなんて、ずるい。やっぱり望んだ死ではなかったはずだ。楽しくなって「うっかり」飲みすぎて、クソダサく死んだ。私の中での真実はそうだ。

遺体と次に会ったときには、すっかり血の気のない姿になっていて、これは蝋人形かなにかで、叔父とは別物なんじゃないかと思った。お腹の部分にドライアイスが載せられて、頬に触れるとかちかちの氷のようだった。記憶の叔父の姿とは繋がらず、叔父の死に向き合えないまま、四十九日がすぎ、一回忌がすぎ、三回忌がすぎ。何度も弔いの儀式を重ねても、まだ、どっきりでしたなんて、ひょっこり出てくるんじゃないかと。でも時間の力は恐ろしくて、この悲しみは一生癒えないのではと思うくらい悲しかったはずなのに、今では文字に書き起こしたって別に泣きやしなくなった。

今でも叔父に話したいなと思うことがたくさんある。「ユニコーン新しいアルバム聞いた?」とか「最近仕事であの芸能人に会ったよ」とか、他愛もないことをだらだらと狭い部屋で喋りたい。叔父だけじゃなく、まだ他愛もないことを話していたい人はたくさんいる。私は死んでいないし、生きているし、まだまだどうでもいい話を延々としていたい。

人の死を理解するのはただでさえ難しい。憧れを持って見ていた人が居なくなってしまったというのは、画面越しだとしてもやっぱり難しい。今も彼女がだれかと笑って話をしていることを望んでいるけど、そもそも彼女がどんなふうに誰かと笑っていたかも画面の中のこと以外知らないのに。

そう思うと、目の前の生を全うしたいとも思う。ましてはうっかり死ぬなんて本当に最悪だし、長々生きて、どうでもいい話を何回も何回も繰り返して、しわしわのよぼよぼになって死にたい。

亡くなる数週間前に叔父と話したこと。叔父は珍しくシラフで、部屋の中のCDやらDVDやらのコレクションを私に見せながら、最近この曲がかっこいいだとかだらだらと話をしていた。そんなときiPadYoutubeを開いて「コレを聞いていると俺はバカみたいに泣ける」とKIRINJIのDrifterを聴かせてくれた。そのときの部屋の匂いまで鮮明に思い出せるくらい鮮明に覚えているし、このことだけは叔父の声や顔を思い出せなくなっても忘れない。